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2007年6月17日

きがきた


5月に行ったやましごとにて
山から運び出した木が、
製材されたのでみずがきランドまで運びました。

自分たちが手をかけた木が
こうして「材」として生まれ変わると、感慨もヒトシオ。

畑は基本的に一年単位、
誰が種を撒き、育てたか、
分かります。

しかし木は、
誰が植えたか、
だいぶ昔の話となるので、
分かりません。

そして、
いつ誰の手元にいくか知らず、
年輪の数ほど立ちつくしてきたわけで、
誰かの手元に届くまでに、
膨大な歳月の重なりが、
そこにはあります。

木の生きてきた場所を知り、
生まれ変わりに手をかけることとなると、
木がここで生き始めた遠い遠い昔のこと、
そしてこうして、
生まれ変わるまでの間の長い長い時間のことを、
考えてしまうのです。

しかしこうして間伐された木は、
だいたい私と同い歳だったりします。
ああ、感慨ブカイ。