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2006年4月1日

もうひとつの故郷に顔を出す

カテゴリー: 今日のできごと


昨日から4月3日まで、子どもの春休みを利用して、また私の友人の結婚祝いへの出席を兼ねて、滋賀県にあるヨメの実家に滞在。

この日は、子どもといとこを京都動物園に連れて行くことにした。
滋賀県にあるヨメの実家から京都に入るのに、国道1号がどうも混んでいたので、山中越えを使うことにした。
そうすると、私が学生時代住んでいた下宿の近くを通ることになる。
めったにない機会なので、立ち寄ってみる。

古い建物だったし、あれから10年以上経っているのでどうなっているかと思ったが、全く変わっていないことに安堵する。
横に流れる白川のせせらぎの音の中で、しばしそこに佇みながら、当時の生活ぶりを思い出す。
10年以上前の時間旅行だ。
まさかここに子どもを連れて来ることになろうとは。

ここの住まいは、家賃が14,500円/月であった。
そしてその家賃は、毎月大家さんに手渡し。
毎月お金を渡しに行く度に、大家のおばあちゃんの昔話を聞いたものだ。
10年以上前のことだが、かなり珍しい家賃設定と送金方法。
そういえば、当時グランド通いのためにポンコツ車を持っていたが、その駐車場代が17,000円/月だったから、車のほうが「高級」なところに住んでいた。

仕送りは決して潤沢ではなく、しかし当時ラグビーに明け暮れ、十分にバイトなどできなかった私としては、とてもありがたい話であった。
しかも環境はというと、白川のせせらぎが聞こえてくるばかりで、とても閑静。

で、どんな住まいだったかというと、5.5畳(京間)の居室+0.5畳の押入、便所と炊事場は共同。洗濯機も共同。風呂はなし。エアコンはもちろんなし。
当時はこれで十分満足だったし、楽しかった。
風呂は京都のそこらじゅうにある銭湯を利用すればよかったし、むしろ毎日いろいろな風呂を楽しむことができたりした。
そして洗濯機が共同で使える、というのは隠れた長所だった。
こうした下宿の場合は通常コインランドリーに頼る必要があったからだ。
まあ、たまに大きな蜂が入ってくるのと、隣で何のテレビ番組を見ているのか分かるくらい隣と音が筒抜けだったのが難点だったが。
それでもかまわず、そこにみんな女の子やたまに地元から来る友だちを呼んでいた。
「お互い様」の世界だったし、本当に迷惑だと思ったら「うるさいで!」と言えばよかった。

狭いし、夏は暑いし、冬は寒いし(とくに京都は)、客観的に見たら現代日本の中では決して良い生活とはいえなかったであろう。
しかし「足るを知る」ことで幸福を感じ、その中で生活を豊かにしようとする術を学んだ。
そして共同で暮らすことの楽しさ、共有することの合理性を体験として得ることができた。

「住まうとは何なのか」
「幸せとは何なのか」
私は今、たてものやとしてこれらの問いを考え続ける日々だが、ここでの愉快な生活体験は、その解を得るうえでたくさんのヒントを与えてくれる。


下宿から南側を望む。
右は白川、その先にちょっとした桜並木がある。
東よりも西のほうが寒かったのか、まだ開花していない。