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2006年4月2日

京都のまちを徘徊〜路地を歩く〜

カテゴリー: 今日のできごと

京都のまちは、社会の教科書に載っていたとおり、基本的に碁盤の目。
だからそれぞれの道に名前がついていて、住所はその道の名前にしたがって付けられる。
例えば、河原町通りと四条通が交わる地点は、「四条河原町」
またその四つ角に対して、「上ル」「下ル」「東入ル」などによって住所が定められる。
それもあって、京都の住所は非常に長い。
京都の後横浜に住んだが、横浜の住所もたいがい長かったけど、それでも自分の住所が短くなったことを実感した。
それと郵便番号帳を見るがよい。
この京都の複雑な住所の仕組みにより、郵便番号もすごいことになっていて、京都市だけでかなりの頁を割いている。

最初この仕組みに戸惑ったものだが、しかし慣れるととても便利だった。
夏の1週間、街なかの寿司屋で配達のバイトをしたことがある。
当然住所を頼りに配達するわけだが、道の名前を覚えると行く方向の見当がつくし、複数のお客さん宛に配達するときは、わざわざ地図を見なくても、効率的に回る順番を見出すことができた。

つまり、‘一見さん’には不便に感じるかもしれないが、そのまちに居る人にとっては実に便利な仕組みだった。

さて、その中でも今日歩いた中で印象的な路地を紹介。

まずは「錦」。
ここはたいへん有名な街なかにある京の商店街である。
日曜日の雨模様のお昼、人でごった返していた。
あるいは、人が多かったのは事実だが、道が狭いから余計に賑わっているような感じがして、目的もなく歩いている自分も、何となく楽しい気分になってくる。
それに人がたくさんで先が見えないので、「この先はどうなっているのだろう」という好奇心が芽生える。

次に、四条河原町を北西に入った路地。
両手を伸ばせば届きそうな道の幅。
そこに所狭しと飲食店などが連なる。
実はこの右手に学生時代たまに飲んだ店(部の宴会がよく行われた場所)があったのだが、今はこぎれいな店に様変わりしている。
この道は例外的に曲がりくねっているのだが、それもあって余計にここも「この先どうなっているんだろう」という好奇心が芽生える。

このように京の街なかを歩くと、道路が車のためではなく、そのまちに住む人間にとって便利なように、楽しいように設計されていることに気がつく。
昔の人たちの設計だから、歩く人間が主役なのだ。
だから、景観が多少現代的に変わろうとも、歩いていて楽しいのかもしれない。