ブログ
2011年9月5日

原発を巡る世の不思議

カテゴリー: 今日のできごと

つい先日、
試算の結果、
原発の発電コストが
今回の事故の賠償金額を含めても、
火力発電等よりも少ないという
ニュースを目にしました。

こうした試算は
社会を設計するうえで
必要でしょう。

何かを選択するうえで
経済という視点は
もちろん重要です。

しかしながら、
それよりも何よりも、
この問題に関しては、
根本的にもっと
大事なことが
あるのではないかと
思うわけです。

時に猛威を振るう
自然界の中で暮らしている以上、
完璧に身の危険を回避することは
無理ですが、

しかし同じ人間の成す業により、
私たちの暮らしに
大きな不安を来し、
あるいは
多くの人を傷つけるのならば、
如何に安かろうと、
それはまっぴらごめんです。

一方で、
他の手段で発電することにより
仮にコストが上がってしまう場合、
相当社会全体に
負担をかけてしまうではないか、
という反論が
待ち構えていそうです。

しかし例えば、
ここ数年の住宅業界を
見てみましょう。

ここ数十年、
コスト低減をめざすばかり、
あまり身体によろしくない材料を使ってまで
住宅建設を続けてきた住宅業界ですが、

数年前より、
住まい手にコスト負担を強いてまで、
伝統工法等の一部の例外を除き、
24時間換気設備の設置が
義務化されました。

さらに言えば、
電気代の負担もかかります。

火災警報器や、
ガスコンロの安全装置も
つい最近義務化されましたが、

これも結果的には、
私たちにコスト負担を強いてまで、
安全確保を図っているわけです。

例に挙げた制度のよしあしは
ここでは置いておいて、

電力に関しても、
同様の視点、同様の方法で
仕組みを作ることは
難しいことなのでしょうか。

ああ、そうか。

それとも住宅業界は、
それによりかえって経済が潤うから、
パパっと制度ができたのかな?

世の中やっぱりカネですかい。

いややはり、
人間として生きるうえで
大切なことを大切にした
世の中の仕組みで
あってほしいと思います。

おサイフを大事にするばかり、
我が身を傷めつけてまで
世の中を成り立たせようと
しているのならば、
私たちの世の中は
相当不思議なところです。