ブログ
2013年5月6日

愛し続ける物語を描けるか

カテゴリー: 家づくりの理念

すみません。
恋愛話や夫婦論ではありません(笑)。

先日5月1日、
鎌倉長谷の一花屋さんで行われた、
〜あるものいかす電6生活楽校・ニッポン再発見ツアー〜
「『できた!電気代600円生活』 人力スライドトーク」
という催しに参加してきました。

申し訳ないことに仕事の都合で
大幅に遅れてまいりましたので、

話の流れに乗ろうと耳を立てていた矢先、
聴衆の間で回覧されていた幾つかの雑誌が
私の手元に回ってきました。

なにぶん話を聞くのが途中からで
どのような話の文脈で
それが回ってきたのかは
よく分からなかったのですが、

とにかく私は、
その雑誌の記事に
釘づけになりました。

その紙面で私が目にしたのは、

私たちが普段よく使う家電製品などの
廃棄物でまみれた南国のスラム街。

かつて日本が
富国強兵策のもと
各地で繰り広げられたであろう
厳しい労働条件のもと
工場で働く隣国の工員たち。

カカオ農園でこき使われる
南国の子どもたち。

私達がのうのうと
暮らしている向こうでは、

相も変わらず
社会の様々なひずみが
生じているということに、
頭が揺さぶられた思いでした。

今の世の中ってなんだろ、

「グローバル」という名のもとに

世界中の甘美なものを、世界中で奪い合い、
世界中のいやなものを、世界中で押し付け合い、

弱肉強食が生きものの掟とはいえ、
同じ人間として、どうなんだろう?

この惨状をすぐには
解決できないかもしれませんが、

私たちは目の前にあるものが
誰が作ってどこからやってきて、

そしてそれを使い終わったら、
これはどこへ行くんだろう?という

ものが辿る物語に対して
どの分野においても
強く関心を持つ必要を感じました。

そしてモノに溢れたこの時代、
私たちに本当に必要なものは何なのか、

これから私たちが
手に入れようとするモノに対して
長い間愛し続ける物語を
描くことがができるだろうか、

そのことを
より深く自問する意識が
必要のように思います。

もちろん私が携わる
住まいの世界も、

現代の住まいづくりは、

作る時も壊す時も、
下地材からも仕上材からも、

土に還らない、
あるいは還すことのできない
たくさんの廃棄物が
出てきます。

廃棄物への
関心を持ちつつ、

愛に溢れた物語を、
提案し続けて
いきたいと思います。