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2006年3月30日

荒壁土を現地で作る(二日目)

カテゴリー: 横浜な邸


昨日刻んだ藁と粘土を、耕運機でよく混ぜる。
それを「保存箱」に入れ、水をたっぷりと入れてよく撹拌する。

耕運機があるのでまだましだが、何しろ粘土が6立米ある。
スコップで鉄板の上に移動し、そこで藁と混ぜる作業をするのだが、スコップを動かしても動かしても、減った気がしない。
「特盛ジャンボラーメン」に手を付け始める、幸せとともに途方にくれるあの気分だ。

私も少し時間があったので、少しでも足しになればと思って一緒にスコップを手にし、粘土の山を崩す。
こりゃたいへんだ。
自ずと左官屋の湯田さんたちとたわいもない会話が生まれる。
「こんな‘楽しい’こと、大勢でやるべきだよなあ!」と、お互い子どものような笑いを浮かべて、そんなことを言いあっていた。

というわけで皆さん、荒壁土作りたい人は是非!
あ、明日あたりには終わっているか。

2006年3月29日

荒壁土を現地で作る

カテゴリー: 横浜な邸


N邸の場合、敷地にそこそこゆとりがあるので、現地で荒壁土を作ることにする。
レシピは簡単。
粘土と数cmに刻んだ藁と水をよく混ぜて、あとは数ヵ月寝かすだけ。
…とレシピは簡単だが、作るのはとてもたいへんです。
足腰の鍛錬になります。

写真を見ると、手前に材料となる藁、左中ほどに粘土(ブルーシートにかかっています)、そして奥では寝かすための‘床’作りをしています。

特製看板設置

カテゴリー: 横浜な邸


工事が本格的に始まる前に、敷地の道路際の分かりやすいところに「特製看板」を設置。
建築基準法に基づく内容が記載されている。

よく50cm四方程度の白いシートに書かれているが、きらくなたてものやの場合、廃材利用ということも含めて、木で作って手書き。
この看板は、きらくなたてものやの‘標準仕様’となりつつある。
看板の大きさは、余った材料の大きさ次第なので、まちまちだけど。

今回はさらに、余った瓦と、3/11に行った雑木林のイベントで手にしたクヌギの丸太で味付け。

2006年3月27日

ピスカリアついに出現!

カテゴリー: ピスカリア


今日はついにシチリア料理店「ピスカリア」が開店!
今までこの建物を育ててきた身として、やっぱり初日には行きたいではないですか。
一通り仕事を片付け、夜足早に葉山へ駆けつける。
行き慣れた道をたどると、見慣れた工事現場の光景はそこにはなく、紛れもなく「店」がそこにある。

店に入って客席を見渡すと、お客さんで賑わっているではないか。
何だか自分のことのようにうれしい。
おっ、いちばん奥には隣のH後さん一家が。
遠慮なくご一緒させてもらい、H後さんとともに楽しいひと時を過ごすことができた。

こうして開店初日にH後さんと出会ったのは偶然ではなく、この場所ははじめから、家づくりの過程も含めて、人と人とを結びつける磁力を持つ土地。それは持ち主であるIさんの磁力でもあるのであろう。
その磁力が今後じわじわと広がっていくことを期待!

おっと磁力が強すぎて、気がついたら2時間半もここに居てしまった。

ところで食事のほどは?
説明無用。
一度来ていただいて、空間とともにぜひゆっくりとご堪能ください。

はじまりはじまり

カテゴリー: 横浜な邸


今日はN邸の地鎮祭。
Nさんの日頃の行いでしょう、天気に恵まれ、無事地鎮祭を執り行うことができた。

いよいよここで本格的に工事が始まるときがきた。
神主さんの「オーッ」という雄たけびを仰ぎ、これから始まる家づくりの心意気を改めて注入する。身も心も引き締まる思いだ。

神様、この場所でもまた楽しい物語をよろしく。

2006年3月26日

共同作業の不思議

カテゴリー: えこびれっじ


今日は午前中、コーポラティブ住宅の居住(予定)者約20〜30人とともに、雑木林の中でシイタケ作り作業。
工事着手直後、11月に現地で伐採したコナラをブツ切りにし、シイタケのホダ木にする作業だ。
コナラのブツ切り(50ヶほどはあっただろうか)を男連中10人くらいでリレー方式で運び出し(これが最もたいへんでした!)、それらにドリルで穴を開け、その穴にシイタケの種菌を木槌等で打ち込む。
ホダ木一つにだいたい30コマの種菌を打ち込むので、合計約1,500コマ!を短時間でみんなで打ち込んだ計算となる。

体力的にはけっこうたいへんだったけど、とても楽しい雰囲気の中で作業することができた。たいへんと思われる作業も、それを多くの人たちと共有化することによって、不思議なことに楽しい体験に変わる。コーポラティブ方式が面白い理由の一つである。
楽しいと感じるのは、共同作業が会話を生み、相互理解を促すからだろうか。
それとも、共同作業を通じ、集団の中で自分の存在意義を再確認することができるからであろうか。
いずれにせよ共同作業は、お仕着せではない愛を育む。

2006年3月25日

木は燃えにくい〜焼杉礼賛〜

カテゴリー: えこびれっじ


エコヴィレッジの焼杉作業2日目。
お天気に恵まれ、作業日和。
今日も20名近くの方に集まっていただいた。

バーナー4台でひたすら杉板を焼く。
作業中は、ゴーッとすごい轟音の四重奏だ。
相手は杉板だから気をつけないと、焼くどころか燃えすぎるんじゃない?と思うかもしれないが、いやいや、これがなかなか焼けないのだ。
乾燥しきっていない杉板はなおさらだ。
そして一度炭化し、黒々となった部分は、そこが「耐火被覆」となってそれ以上焼くのは難しい。
とくに焼きにくいのは、節の部分。
しばらくバーナーを当てても、燃えた感じがしない。節全体で‘樹液が踊る’のだ。
そして樹液が出きった後、ようやく炭化を始める。
ちなみに節を焼くコツは、「樹液を飛ばすように焼く」。
上からバーナーを当てるのではなく、横からなめるようにバーナーを当てる。
そうすると、節の周りの部分が焦げすぎてしまう、という恐れも少なくなる。

いずれにしても、作業をすると、木は燃えにくいんだなあ、ということがよく分かる。焼杉板のように黒く炭化した状態にすればなおさらだ。だから昔の人は、「耐火材」として焼杉板を外壁、とくに妻側(隣の住戸と接する面)に使った。

さらに焼杉の性能についていうと、焼杉板は建物全体の通気性を確保しつつ、耐久性もそこそこある。
昔の厚さが1㎝ないような板(今回は厚さ1.5cm)でも、築後100年経っても‘現役’であるものをよく見受ける。
傷んだところが出てきたとしても、局部的な補修ができるというのも、長持ちの要因だろう。しかも100年経っても‘廃番’になることはまずないので、いつの時代でも調達できる。まして住民が今回のように自主施工を行い、作り方を会得したならば。

確かに、外壁材について耐火性能などを数値で判断すれば、サイディングなどの新建材ほうが優れているかもしれない。しかし、性能の科学的評価に加えて、修繕のしやすさ(私はこれを耐久性の大きな要素として考えています)、意匠性、あるいは‘愛着’といった情緒的な面などを総合的に考えたときに、焼杉板は外壁材として積極的に採用したい素材の一つである。
それに、日本の長い歴史の中で使われてきた焼杉板、その板をしばし眺めていると、やはり私たちの遺伝子をくすぐる何かがある。

追伸
焼き作業が余韻を引きずり、その日の夜は家族で焼肉を食べに行きました。

2006年3月21日

Nさん、木に愛を注ぐ(第1回)

カテゴリー: 横浜な邸


N邸の構造材の柿渋塗り作業がついにはじまった。

今日は土台と大引を6割がた塗る。
土台と大引なので、防蟻と防虫のために木酢液を混ぜて塗った。

参加者は、
・Nさん一家(大人3人、子ども3人)
・M本さん
・S藤さん
・大工の藤間さん
・きらくなたてものや日高
の合計10人。
(M本さんS藤さん、遠くからありがとうございます)

お彼岸のよいお天気の下、賑やかに気持ちよく作業することができました。

今後原則として毎週日曜日に柿渋作業を行います。
興味のある方はぜひご参加お願いいたします。

2006年3月20日

清々しい竹林の中一人佇む

カテゴリー: 横浜な邸


N邸の地鎮祭用の竹を伐るために、いつもお世話になっているT澤さんの竹林へ。
太陽と青空とまだ少し冷たいが清々しい風の下、小1時間竹林の中で1人作業した。
実に気持ちよい。
身も心も洗われるような気がした。

この竹林に初めて来たのが去年の6月頃だっただろうか。
そのときはI邸の竹小舞用の竹を調達するために、200本近い竹を伐らさせていただいた。
当時は人の手が入っていない印象で、枯れた竹が折り重なり、なんとなくじめじめして、足を踏み入れるのに少し恐怖感を覚えるほどの空間だったが、それ以来たくさんの人の手が入ったことによって、光が入り、風が通る、とても気持ちよい空間となった。

自然界は、善意の人たちの手が入れば入るほど、ボクたちに歩み寄ってくれる。

梅雲の中一人佇む

カテゴリー: 横浜な邸


作業した竹林の隣には、梅林が広がっていた。
ちょうど梅の花が美しい時期。
作業の間、虫のように梅林の中に引き寄せられる。

絵に描いたような青い空の下、梅の花の群れの中に入ると、梅の雲の中にいるようだ。
春の清々しい風が梅の雲を揺する。
気持ちいいなあ〜。

この梅林は観賞用ではなく、人間の営みとして梅を収穫するためのものである。
人間の生活の必要性の中で美しさというものは、美に下心がないからだろうか、何か安らぎを覚える。