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2006年5月25日

江ノ電と若葉

カテゴリー: 今日のできごと

鎌倉から藤沢まで、久しぶりに江ノ電に乗った。
子どもの頃は、長谷にあったじいさん・ばあさんの家に行くために浴びるように乗っていたが、大人になってからはすっかりご無沙汰で、最後にいつ乗ったのか思い出せないくらいだ。近くに越してきてからも、江ノ電で行くようなところも車で行っていたし、恐らく10年は乗っていない。
こうして車輌の写真を撮るなんて、それこそ小学生以来だ。

座席に座り、子どもの頃を思い出しながら、そして子どものように右に左に首をよじりながら、車窓からの風景を楽しんだ。
やっぱりい〜ね〜、江ノ電。
自分で動かす車と違って、ゆったりとした気分で、ゆらりと流れる風景を楽しむことができる。

江ノ電から見える風景といえば、江ノ電は七里ガ浜と腰越の間で海岸沿いを走る。
乗客は、海が見えると一斉に海のほうを見て、どの列車でも例外なく「わあ」という声が上がる。
子どもの頃、何となくそれがうれしくて、
「いいでしょ、鎌倉」と誇らしげに思ったものだ。


ところで今日は、実によいお天気だったということもあって、車内は修学旅行生でだいぶ賑わっていた。小学生特有の甲高い響きの喧騒の音を聞くと、余計に子どもの頃を思い出すというものだ。

皆さん、五月の鎌倉を満喫してください。
お天気でよかったですね。
大人になったらまた来てね。


おやつの時間の頃、家に着いた。
玄関の前で、Kさんから譲り受けた柚子の元気な若葉が午後の光に映える。
去年の春この柚子を譲り受け、秋以降たくさん実をつけたものの、‘お引越し’をして環境にまだなじまなかったこともあったのか、最近までは少し元気がなかった。(だからこそたくさん実をつけたのかもしれませんね)
しかし、日が長くなってきてだいぶ元気を取り戻してくれたようで、ここにきて一斉に若葉が開き始めた。
急に大きくなるもんだなあ。

2006年5月18日

雨の中鎌倉と横須賀をひたすら歩く

カテゴリー: 今日のできごと

朝、鎌倉市役所の近くに用事があった。
自転車で行くつもりだったが、あいにくの雨なので、約4㎞強の道のりを歩いて行ってみることにする。
しかし朝の事務作業に思いのほか時間がかかり、家を出る頃は約束の約40分前だったので、道程の1/3は傘をさしながら走った。
約束の地に着く頃は身体中汗だく。

さてその用事というのは、以前お世話になった方に誘われて、市民向けのまちづくりの講座に出席することであった。
名づけて、「いろは講座」。
まちづくりや景観問題って、情緒的に議論されることが多いけど、それらの背後には行政が制定した様々な法律や制度等があるわけで、それらの基礎を広く市民が学習することにより、まちづくりの議論をより現実味を帯びたものにしよう、という主旨で開催された。
とてもよい取り組みだと思う。

終了後、お昼ごはんをいただく場所を物色しに、小町通りへ。
雨だというのに、修学旅行生や観光客でたいへん賑わう。
とくに駅前の某ファストフード店に修学旅行生がごった返していた。
たしかに鎌倉にはこれといった郷土料理はないが、しかし何も修学旅行に来てまで食べんでもええのに、とつぶやく。
やはり子どもたちにとって憧れの食なのか、それとも、いつも食べている安心感からなのか。
友だち同士うれしそうに食べているから、ま、いいか。

人混みと傘の間を縫うように、小町通りの奥まで歩いていたら、とても楽しい店を発見した。
職人の手仕事の日用雑貨品をとり揃える店で、屋号は「江戸職」という。
たわしだの、歯ブラシだの、櫛だの、手ぬぐいだのいろいろあって、買う当てもないにいろいろ手にとって眺めた。
陳列する品物の中に、小さい箒を発見した。
形も魅かれるものがあったので、仕事机周りの掃除用にと思って買った。
店のダンナに聞くと、埼玉県三芳の職人さんが作ったものだそうだ。
家に持ち帰った後、「ホコリ、ホコリ」と掃除すべき場所を見つけては早速使い心地を試してみる。(そう、私はうれしがりなのである。)
箒と床の擦れる音が何とも心地よい。

小町通沿いにある天ぷら屋で昼ごはんをいただいた後、所用で横須賀駅に向かう。
JR横須賀駅で降りたのは、割と近くに住んでいるというのに、実は初めての経験だ。
いやあ、ここはまさしく海軍のまちですね。
駅を降りて南側に見えるショッピングモールも、まるで軍艦のようだ。

横須賀駅からまたまた3㎞強歩いて目的地に到着し、速やかに用事を済まして東京に。
というわけで、今日は傘をさしつつ、歩いた、歩いた。
延べ2時間、10㎞近くは歩いただろうか。

こうして雨の中、長い道のりを歩いて改めて気づいたことがある。
それは、麻のズボンの気持ちよさ。
湿ったお天気の中たくさん汗をかいたけど、Gパンなどと違ってジトッとした感じが残らない。どちらかというと厚手の布のズボンだったが、湿気を帯びたとしてもサッと湿気が引いてしまう。
麻は優れた調湿機能を持っているのだ、ということがよく分かった。

以上、本日は徒然なるままに。

2006年5月10日

まちをおもしろくしよう

カテゴリー: 今日のできごと

仕事で某山村に行ってきた。
東京から特急で向かい、某県庁所在都市の駅で在来線に乗り換える。
それがちょうど昼の時間であったこと、また乗り換えにしばらく時間があったので、いったん駅の外に出て、昼飯をいただく場所を物色した。
せっかくここまで来たのだから、その地域らしい個人商店のうどん屋なりそば屋なり入ろうかな…と思って駅前をうろつくが、ない。

駅前には立派な駅ビルが建てられていて、そこに入っているテナントはいずれも見たことある店ばかり。
その周辺も然りで、どこにでもあるようなビル、そして掲げられた看板を見ると、どこにでもあるような店や事務所だった。

それらの店の存在そのものは否定しない。
ただし、駅前にそれしかないまちというのは、さみしい。
個人商店が、あるいはその地域が大資本にのっとられ、列強諸国に植民地化されたような印象がすると言うと言い過ぎか?

しかし、たまにこうして流れ者がメシを食べようとするときだってあるのだ。
ここまで来てマ○ド○ル○を食べる気はあまりしない。

この現象は何もここだけの話ではない。
日本全国同じ現象。
駅前だけではなく、郊外へ行ってもそうだ。

それしかないと、来た甲斐がないというか驚きがないというか。

もっとまちがおもしろくなるような、そのまちにしかないような、そんなしかけがまちの中に一つや二つあるといいな。

2006年5月9日

車のない生活も折り返し地点

カテゴリー: 今日のできごと


ここのところ移動はほとんど自転車と電車。
とくに自転車を楽しんでいる。
自転車に長い距離乗るようになると、急に自転車が愛おしくなって、足回りを中心に、マメに手を入れるようになった。
手を入れると足も軽くなるので、余計に楽しくなる。

また、電車で移動するようになると、読書量も急激に増える。
カバンの中にはカタイ本とユルイ本を2冊入れるようにしていて、気分や眠気次第で2冊並行して読んでいる。

自転車生活の短所は夜すぐに眠くなることで、夜行う仕事の粘りがきかなくなるが、ある意味では健康的である。その分朝早く起きるようになった。

遠出をするときはいささかつらいが、この生活はなんだか楽しいぞ。

車のない生活に突入して急にガソリン代が高くなったし、逗葉新道で白いメットで青い服来たおじさんに呼び止められたあの事件は、実は神の思し召しだったのだのかもしれない。

2006年4月19日

来ないにこしたことはないが、来てよかったと思う話

カテゴリー: 今日のできごと

うちの子どもたちは、必要以上に賑やかである。
必要以上に声がでかい。
また姉弟ともに声が甲高いので、必要以上によく響く。
子どもたちが家の中にいる中で仕事をしていることが多いが、遊んだりけんかしたり、まあうるさいもんだ。

しかし、ヨメとともにどこかに遊びに出ていったり、長い間一人家で仕事をしていると、普段はあり得ない静けさになんだか少し寂しく、そして帰宅して急にバタバタする音を聞くと、妙に安心した気持ちになるものである。

ヨメについても、まあ似たような話だ。

ところで今日は一日、二俣川で来るべき「自転車生活」を送るための事前講習を受けていた。
講習の最後の時間、実際に起きた事故の話を記録した映画を見た。
酒酔い運転のおじさんが5人の集団に突っ込み、5人とも即死させてしまったという事故だ。
被害者の一人の家族は、夫婦と子ども2人。我が家と同じ構成だ。
その事故によって奥さんの命が失われたのだが、映画ではその残された家族の悲劇と、そして加害者の家族をも分解してしまう様子を映し出していた。

考えたくもないが、自分に置き換えて想像してみると、そんな世界は想像できない。想像が途中で無意識に止まるというべきか。

本来は交通安全に関する講習であったが、当たり前と思っていた存在の大きさを改めてまざまざと再認識するよい機会であった。

また、12時限あるそれぞれの講義が時間より早く終わることが多く、けっこう空いている時間が長かったので、内職をしたり本を読んだり深く考えごとをしたり、普段はなかなかできないことに手をつけることができた。
また、普段当たり前のように存在する仕事の時間に対して、飢える気持ちが高まったりもした。

自分にとって1ヵ月半に及ぶ「自転車生活」は、この時期の必然だったのかもしれない。

ところで、この講習の参加者は、相対的に喫煙者が多いような気がする。
何でだろう?

2006年4月18日

今日から自転車生活♪

カテゴリー: 今日のできごと

今日から6月初旬まで、しばらく自転車生活だ。
体力の許す限り、しばし自転車での小旅行を楽しみたい。

ついうれしくて、二俣川の長くて眠い講義の後、夕方何年ぶりかに近所のスポーツ用品店に寄り、自転車乗車時装着用の衣服などを買った。

こういうところに来るのは実に久しぶりだったので、ラグビーコーナーに立ち寄ってみる。
ジャージーにせよ、パンツにせよ、シューズにせよ、我々が現役の頃とは素材と形が「進化」していた。
何となく垢抜けましたね。
あと、今はピチピチの練習用ウェアなんてあるんですね。
意味もなく買いかけたが、冷静に判断してやめることにした。

そういえば、7歳になる小柄な息子が、ラグビーに少し興味を持ち始めている。
子どもとやるぐらいだったら膝も大丈夫だろうし、いつか一緒に楽しめるといいなあ。

2006年4月15日

‘自主施工ノススメ’の思いがけない効果

カテゴリー: 今日のできごと

今日は気持ちよいお天気の下焼杉作業であった。

ここのところ、週末は焼杉作業、柿渋塗り作業、さらには週末以外でも山を歩いたり炭を埋めたり荒壁土作りを少し手伝ったりと、身体を動かす仕事が多い。
毎日程よい疲労感を感じる。
だからかもしれないが、日付が変わる頃には眠くなって寝てしまう。
今は家で作業していることが多いから、眠いと思ったらすぐにでも寝ることができる生活ということもある。
その代わり、以前と比べて格段に早起きとなった。
朝のほうが作業能率が格段に良いことを知り、朝早起きすることが楽しみなくらいになっている。

2〜3年前、いや数ヵ月前と比べて生活習慣が劇的に変化していることに自分でも驚く。
身体を動かす仕事を日常の中に織り交ぜることは、新たな発見を身体で覚えるということもあるけれど、人間本来の体内時計のリズムを糺す効果もあるのであろう。
だからきっと職人の朝は早いのだ。

そしてこのような日々は、心なしか以前よりも毎日が楽しく感じるのである。
仕事として取り組んでいることではあるが、焼杉作業などが行われる日を、実は楽しみにしていたりする自分がいる。

自主施工を楽しんでくださる皆さん、そして自分を楽しませてくれる皆さんに感謝!である。

2006年4月11日

がけぷっち

カテゴリー: 今日のできごと

小学校二年生(7歳)になる息子がいる。

第三者の意見によると、自分と姿かたちが似ているようだ。
息子をどこかに連れて行くと、いろいろな人から「似てますね〜」と言われる。
髪の毛はパーマをかけたのかと思うほどクリクリ、容姿はまだ幼く、同級生の中でもいちばん背丈が小さく細身(まだ18kg)のほうなので、昔から中肉中背(子どもの頃はむしろデカかった)の自分と似ているとはそれほど思わないが、言動や行動を見ているとそうかもしれない、と思うときがある。

その特徴は、以下のとおり。
・感性に従って行動
・一つの物事に没頭し、好きなことなら同じことをし続けても飽きない
・何事も前向き、というかあまり細かいことを気にしない
・自分のことが大好き
・一文字違いをよくする

この前も、例のごとく甲高い甘えた声で、
「○○で読んだんだけど〜、‘がけぷっち’ってなあに〜」
と聞いてきた。
文字で書くと「がけっぷち」を読み間違えたんだと思うが、耳で聞くと、最初アニメのキャラクターなどのことを聞いているのかと思った。

それにしても、「がけっぷち」を「がけぷっち」か。
追い詰められたときでも、なんだか楽しそうな雰囲気だ。
やはり、何事も前向きなやつだ、ということにしておこう。

2006年4月2日

京都のまちを徘徊〜路地を歩く〜

カテゴリー: 今日のできごと

京都のまちは、社会の教科書に載っていたとおり、基本的に碁盤の目。
だからそれぞれの道に名前がついていて、住所はその道の名前にしたがって付けられる。
例えば、河原町通りと四条通が交わる地点は、「四条河原町」
またその四つ角に対して、「上ル」「下ル」「東入ル」などによって住所が定められる。
それもあって、京都の住所は非常に長い。
京都の後横浜に住んだが、横浜の住所もたいがい長かったけど、それでも自分の住所が短くなったことを実感した。
それと郵便番号帳を見るがよい。
この京都の複雑な住所の仕組みにより、郵便番号もすごいことになっていて、京都市だけでかなりの頁を割いている。

最初この仕組みに戸惑ったものだが、しかし慣れるととても便利だった。
夏の1週間、街なかの寿司屋で配達のバイトをしたことがある。
当然住所を頼りに配達するわけだが、道の名前を覚えると行く方向の見当がつくし、複数のお客さん宛に配達するときは、わざわざ地図を見なくても、効率的に回る順番を見出すことができた。

つまり、‘一見さん’には不便に感じるかもしれないが、そのまちに居る人にとっては実に便利な仕組みだった。

さて、その中でも今日歩いた中で印象的な路地を紹介。

まずは「錦」。
ここはたいへん有名な街なかにある京の商店街である。
日曜日の雨模様のお昼、人でごった返していた。
あるいは、人が多かったのは事実だが、道が狭いから余計に賑わっているような感じがして、目的もなく歩いている自分も、何となく楽しい気分になってくる。
それに人がたくさんで先が見えないので、「この先はどうなっているのだろう」という好奇心が芽生える。

次に、四条河原町を北西に入った路地。
両手を伸ばせば届きそうな道の幅。
そこに所狭しと飲食店などが連なる。
実はこの右手に学生時代たまに飲んだ店(部の宴会がよく行われた場所)があったのだが、今はこぎれいな店に様変わりしている。
この道は例外的に曲がりくねっているのだが、それもあって余計にここも「この先どうなっているんだろう」という好奇心が芽生える。

このように京の街なかを歩くと、道路が車のためではなく、そのまちに住む人間にとって便利なように、楽しいように設計されていることに気がつく。
昔の人たちの設計だから、歩く人間が主役なのだ。
だから、景観が多少現代的に変わろうとも、歩いていて楽しいのかもしれない。

京都のまちを徘徊〜土壁を見る〜

カテゴリー: 今日のできごと

先ほどの続編。
今度は土壁について。

土壁のみに視点をあてて京都のまちを歩くのも面白い。
まず色が多様である。
漆喰の白い壁、黄色の土壁、浅黄色の土壁。黒い土壁…
建て主の美意識と個性がここにもふんだんに表れている。
そして芸が細かい。
さすが日本の都、職人の腕も最高峰が集結しているのであろう。
いつだったか左官屋の湯田さんも、左官工事の技能は「京都は最高だよ」と言っていた。

それでは、まちで見かけた土壁を幾つか紹介。

今回見つけた中で気に入った壁の一つ。
大小混ざった砂などが味を出しています。
また、板金に頼らない、こまやかな左官仕事による水切り。
微妙なふくらみが柔らかい印象を与えます。

少し灰色がかった土壁。
この写真は、上の板壁にも注目。
自然にできた(であろう)目透かしが、長い歴史を感じさせるとともに不思議な印象を与えます。

黄色いです。

黒いです。

街なかで見つけた土塀。
土塀に掘り込んで落書きとは、京都ならではです。
皆さんは絶対に真似しないように。
土壁のきずも、いくところまでいくと味があります。
(我が家の壁を見るよう…)

最後に、板壁がはがれたところから見え隠れする下地の土壁を発見。
昨日京都動物園を歩いても感じたことですが、京都の土は白っぽいようです。