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2006年3月9日

梅がきれいなのだ

カテゴリー: 今日のできごと


自宅から大井町まで行く道中、国府津のあたりから御殿場線沿いの道を走った。
その道沿いに梅林がたくさんあった。
その代表格は曽我の梅林。ほとんどが白梅。
白い淡雪を一面に振りまいたようで、その光景はとても美しかった。

後で地元のことに詳しい方に聞くと、それらの梅林の大半は観光用に植えたものではなく、あくまでも梅を収穫するために植えたものだそうだ。
そう言われてみれば、通りがかった際、観光用の目立った駐車場はあまり見かけなかったし、あれだけ咲き乱れているのに、桜の場合と違って人まみれで俗っぽい雰囲気ではなかった。

とってつけたものではなく、生活の必然からにじみ出てくる美。
豊かな風景ですね。

そもそも梅の花は、咲く時期といい、上を向いて凛とした咲く姿といい、しっかりと根付いた感じといい、とても気に入っている花の一つである。
それが群れをなして一斉に咲く風景は、圧巻であった。
急いでいなければ、車を停めてじっくり見たかった。

なお、写真は明後日のイベントの会場付近の梅林。
ここは観賞用なので、紅白入り混じっています。

いよいよ明後日この雑木林で遊びます

カテゴリー: 今日のできごと


明後日行うイベントの下見のため、主催者と森林組合の方とともにイベントの現地を訪れる。
いつ来ても気持ちよい場所だ。
明後日が楽しみだ。

昨日までの天気予報によれば土曜日の天気は怪しかったけど、今日の午後になって、土曜日はまずまずの天気、と予想が変わった。

この前自転車乗り回した日も雨が降るって言っていたのに自転車に乗っている間は降らなかったし、ここのところ「晴れ男」ぶりを如何なく発揮している。

木と戯れる子たち その1

カテゴリー: 今日のできごと


我が家のカヤの木によじ登り、ポーズをとる上の娘。
久しぶりに登る姿を見たが、大きくなったなあ。
木の大きさは不変なので、子どもの成長の様子がよく分かる。

2006年3月6日

海へ台地へ自転車で駆ける

カテゴリー: 今日のできごと

来るべき自転車生活に向けて、午前はI邸のある葉山へ、夕方からN邸のある瀬谷に自転車で向かった。
自宅から葉山までは12〜3キロ、自宅から瀬谷までは20キロ程度だから、概ね今日一日で65キロ走ったことになる。
50キロ以上自転車で走るのは実に久しぶりだ。
以前綱島に住んでいた頃、千代田区まで22〜23キロの道のりをたまに自転車通勤していたとき以来か?
だとすれば5年以上前のことだ。
久しぶりだったので、夕方瀬谷からの帰り道はだいぶへばってしまった。
これしきの距離でへばるとは…。
しかもこの足のひどい疲労感は、初めての経験といってよい。
今日は風が強かったからだろうか。
(今日の海沿いの道は本当につらかった…目も痛いし)
それとも、もう年なのかもしれない。
いやだけど、1ヵ月ほど休みをとって、自転車で日本中の民家を訪ねる旅をする夢はまだ捨てていない。
(少なくとも今ある仕事が終わるまではこの夢は封印しますので、皆さんご安心あれ)
この先何ヵ月かの自転車生活で、昔の体力を取り戻そうではないか。

さて、自宅に戻って気づいたことがある。
今日は天気予報では花粉は多いはずであった。
(花粉症の皆さん、今日はどうでしたか?)
しかし、一日中外で自転車に乗っていたのだが、今現在ほんのちょっと目がかゆいくらいで、ひどい花粉症の症状が見られない。
そういえば、自分が花粉症のひどい症状を自覚し始めたのは、大学ラグビー部の現役を引退した後だ。
現役でバリバリ走っていた頃、それまで多少鼻水が気になりはしたが、目がかゆくてかゆくて、とか、くしゃみが止まらない、とか、鼻が詰まって息が苦しい、とか、そこまでの症状は見られなかった。

もしかしたら運動して汗を流すことは、内臓が整い、花粉症の症状をやわらげる効果があるのかもしれない。

2006年3月5日

「春眠暁を覚えず」は花粉のせい?

カテゴリー: 今日のできごと

最近夜の粘りがきかない。
すぐに眠くなる。

夜だけではない。
具体的に午後3時あたりも眠い。

少し風邪気味ということもあるかもしれないが、いつもより睡眠時間が長くなっている。
まさに「春眠暁を覚えず」のことわざのとおりだ。

この現象が始まったのは、スギ花粉が飛び始めた頃と一致する。
花粉症の症状以外に、何か因果関係があるような気がしてならない。

2006年3月3日

諸行無常なのだ

カテゴリー: 今日のできごと


時代は流れる。「あ」と言っている間に、もう時間が流れている。
ビデオテープのように、再生不能だ。
だから私たちは前を向いて歩く。歩くしかない。
分かっている。

だけど、分かっていてもやり切れないときがある。

葉山の現場に関わるようになって、写真のように古い建物が壊される光景を、何度となく見てきた。
葉山はこのように古くから生きている家が多いのだ。
しかしその一方で、生命を絶たれる建物も相次いでいる。

生きているのだからいつかは死を迎える。
それは仕方ないと分かっているけれど、やはりあらゆる死と同じように、その事実を受け入れるのに時間がかかる。

輪廻転生。
まちとともに、新たな生命の再生を期待している。