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2014年6月20日

「聞く」ことから始める

カテゴリー: 今日のできごと

連日の報道で、
「ヤジ」が取り沙汰
されています。

大事なことを
話し合ったり、
決めたりするところで
そんな言葉を聞くとは、
まさかあるまい、

といったような
中身だったようです。

その中身も
さることながら、

大事なことを
話し合ったり
決めたりするところで

そもそも「ヤジ」は
必要なのでしょうか。

私はものづくりを
生業としております。

ものづくりで
生きていくためには、

それを人から頼まれ、
それを喜んでくれる人がいて
成り立つのですが、

そこで私が
相手に喜んでもらうために
いちばん、と言っていいほど
心がけていることは、

頼んでくれた人の話を
「聞く」ということです。

「家」という
生涯、といっていいほど使い続ける
大事なものを作るために、
とにかく「聞く」。

少なくとも
何も条件のないところから
デザインの発想が湧き出てこない
凡人の私は、

人から、

素材から、

職人から、

「聞く」ことがなければ、
ものづくりの発想が
生まれない、といっても
いいほどです。

さて議会とは、
私たちの暮らしの
大事な仕組みを
作るところです。

その過程で、
様々な立場の人、
様々な考えの人から
真摯に話を聞く必要が
あるはずです。

様々な考えの人が
いるとするならば、

様々な条件の中で、
仮にそれらの声を
全て反映できなかったとしても、

そういう考えの人が
いるんだ、ということを
知ったうえで
ものごとを判断してほしいと
思うのですが、

そのためには
とにかく「聞く」ことから
始めてほしいと
私は思うわけです。

そうだとすれば、
人が話し終わった時ならまだしも、
人が話している最中に、
それを遮るような「ヤジ」は
要らないはずです。

あ、もしかしたら、
選挙で選ばれし人は、
さすが選ばれし人、

言葉の理解力が弱い私は
きちんと聞いていなければ、
飛び込んできた言葉を
なかなか消化できないのですが、

その人たちは
一聞けば十を知ることが
できるのかな?

また考えようによっては、
「ヤジ」の言葉で
人間性を推し量ることが
できるので、

選挙の際の
たいへん分かりやすい
判断材料ともいえますね。

とはいえ、
たとえそうだったとしても、

いちばん大事なことを
決める場でのやりとりは、

テレビにも映る。

すると
子どももマネをする。

子どもは大人の行いを見て
育ちます。

将来美しい、
多くの人が幸せと感じる
未来を作るために、

子どもたちには、
人の目を見て、
人の話を「聞く」態度を
身につけてほしい。

そう願う私は、
そもそも「ヤジ」は
いらんやろ、と思うのです。

余談ですが、
結婚式や式典などでの祝辞の時、
あるいは会議での発言の際、

その人の話そっちのけで
隣の人たちと
ヒソヒソ話している場面を
見かけることがあります。

あれもあんま
好かんのですわ。

そのヒソヒソ話の話題、
今じゃないとあかんのか。

その日、その時のために
一生懸命考えてきてくれた言葉を
一生懸命聞こうではありませんか。