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2005年12月14日

実像と虚像

カテゴリー: 今日のできごと

朝現場に向かう車の移動中、ラジオから株の誤取引に関するニュースの続報が流れてきた。
ある証券会社の誤った売り注文により、別の証券会社が120億円(数字はうろ覚え)の利益を得たとのこと。
情け容赦ないなあ。
もともと株や投資に興味はないのだが、一体資本主義って何だろう、と思った。
自分のことだけ考えていりゃいいのか。

人間、基本的には失敗はないほうがいい。
その中でも、医療ミスだったり、あるいは砂糖を塩と間違えるような取り返しのつかない失敗は許すべきではない。
失敗したら、損失を伴うのも分かる。

とはいえ残念ながら、善意で行動していたとしても人間には失敗は必ずある。
しかし失敗があったとき、それを補おうとするのが人間というものではないだろうか。
それが結果的に人間社会全体の利益につながるからだ。

「人間社会」なんて、少し説教くさいか。
例えば、自分の仕事の世界で話をしよう。

自分は建物づくりを仕事としている。
建物づくりの現場は、仕事の期間が長い。
その期間の中で、失敗がないようにするのが我々設計屋の仕事であるが、残念ながら失敗はつきものなのである。
しかし失敗が起きたとき、あるいはそれに気づいたとき、必ず関わっている皆で失敗を補う力が働く。
なぜならそれを放置していたら、必ず建物全体の不利益につながるからだ。

建物づくりのように「実像」の世界では、モノづくりでも商売でも、「全体」のことも考えなければうまくいかない。うまくいったと思っても、長続きしない。
やはり常に「全体」のことを意識し続ける必要がある。

とはいえ、「全体」のために欲望を抑え、献身、犠牲心こそがいちばんの美徳、と言うつもりはない。
それはそれでとてもすばらしいことだと思うが、それを押し付けるつもりはさらさらない。

人間は基本的には自分がいちばんかわいい。
それは間違いない。
むしろ、どうしたら自分が得になるだろうか、という感覚を持ち続けることはとても大事だと思っている。
それが、段取りのよさ、仕事の質の向上、さらには逆説的だが献身的な働きにつながると思うからだ。

しかし「実像」の世界では、自分のことだけ考えて行動していたならば、結果的に自分が損になるようにできている。
だから、「全体」のことも考える必要がある。

一方、「虚像」の世界ではどうだ。
文字どおり自分のことだけを考えていればいい。
あるできごとによって利益不利益を被るのは、基本的には当事者だけだ。
ゲームの世界。

あまり経済については明るくないので偉そうなことは言えないが、「資本主義」というのは、つきつめれば「カネ」のみがモノサシの、「虚像」の世界だ。
件のニュースで、損した儲けた、なんて話も、「マジメ」な人たちが真面目そうに取り組んでいるから錯覚するが、結局はゲームやないの。
その「虚像」の世界が巾を利かせ、世の中を動かしていることに、少なからず不安を感じる。

現に今、モノ作りの現場、人間臭いやり取りのある商売の世界、「実像」の世界がどんどんと我々から遠のいていないか?
生産は効率第一の機械に頼りっきり、そして生産の場所は土地代の安い、我々の見えない世界へ。
モノの取引や飲み食いも、まるで機械が対応しているような大型ショッピングセンターやチェーン店。
そして子どもたちの遊びは、ドロケイからテレビゲームへ…

もう将来の不安なんてどうでもいいや、そんな世の中、おもろないやん。

さあ、明日も現場現場。