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2005年10月1日

地鎮‘祭’

カテゴリー: えこびれっじ


今日はエコヴィレッジ鶴川の地鎮祭。
ようやくここまでたどりついた。
組合を設立してから、早1年が経とうとしているが、本当に早かった。
その間、いろいろなことがあったなあ。
30近い住民に集まっていただく過程の悲喜こもごも、脱退された方々を含めた、一つ一つの家族模様、設計作業の苦悩(とくに、躯体の予算が合わなくて)、あげるときりがないが、それらのできごとを思い返すと、こみ上げてくるものがある。

そして地鎮祭。
このような盛大な地鎮祭は初めてだった。
出席者の数。要した時間(3時間!)。準備にかけた手間と時間。
しかし、物理的な数量では計り知れない、心に残る、そして心から土地に感謝し、工事の安全を祈願する、そんな地鎮祭だった。
まさに「祭」。

直会のときに、出席者全員からお言葉をいただく。
1分間をめどに、ということだったが、平均するとみんなその3倍以上は話していただいただろうか、しかしもちろんその時間をさえぎる気にならなかった。
皆さんも、時間を気にすることなく、私語もなく、真剣に一人一人の言葉に耳を傾けていた。
それほど一つ一つの言葉に全て力があった。
自分も聞いていてとても楽しみだったし、うれしかった。

さて、いよいよ工事だ。
身が引き締まる思い。
この悦びを、1年かけて空間に昇華させなければ。

精霊は宿る

カテゴリー: えこびれっじ


建物を建てるにあたり、残念ながら木々を伐らなければならないので、地鎮祭の一環として、現地の木々を慰霊する。
30近い世帯の住民が手分けして、木々にお神酒を捧げ、祝詞をあげる。
祝詞の読み方はさすがにたどたどしいが、みんな心がこもっていて、その姿はとても美しかった。
それとこの儀式を、大人も子どもも、みんな楽しんで臨んでいる。

その日の夜、住民たちと酒を飲んでいたときに話していたのだが、木々を慰霊したあと、風で木がざわめく音が明らかに静かになったようだ。
それと、前日の夜ほとんど寝てなかったので、正直なところそれまで身体とまぶたが重かったのだが、この儀式を境に、とても調子と気分ががよくなった。

やっぱり精霊は宿るのだ。

2005年9月30日

今日の森戸海岸

カテゴリー: ピスカリア


夏から秋にかけて、だんだんと空気が澄んでくる。
夏は江ノ島の輪郭がぼんやりとしていたが、だんだんとはっきり見えてくる。
そのうち富士山も楽しむことができるんだろうなあ。

欄間の模様

カテゴリー: 横浜な邸


Nさんが手に入れた欄間。
菱形の模様が古さを感じさせないどころか、現代の感覚に凄く合う。
光と影の見事な交錯。
見る方向、時間によっても印象を変える。

古い建具に再び命を注ぐ

カテゴリー: 横浜な邸


葉山は桜花園。
ここには古材と古建具がたくさんある。
とくに建具の在庫が多く、見てるだけで時間が早く経つ。
かつての職人たちの美的感覚と細やかな仕事ぶりを見ることができる。
膨大な技術の倉庫。

その中でNさんは、長い欄間を気に入り、購入することにした。
この欄間を、住宅の設計の一部に取り込むことに。

いい天気〜葉山の海〜

カテゴリー: ピスカリア


海の青が、だんだんと濃い色に。
地球は丸い。

秋の海。波の音が穏やかに響く。
砂浜に、私一人。
足早に目的地に向かい、
静かに用を足す。

2005年9月26日

貫伏せ+むら直し

カテゴリー: 目黒か邸


荒壁塗りのあとは、貫伏せ+ムラ直し。
貫の部分に、先にこんもりと土をつけ、そのあとのムラ直しの作業で平らにします。
写真の真ん中が貫の部分。
しばらくの間、土のシマシマ模様です。

パーマカルチャー公開講座開催

カテゴリー: えこびれっじ


エコヴィレッジ鶴川の住民の皆さんの主催で、北の大地でパーマカルチャーを実践されている酒匂さんをお招きし、パーマカルチャー公開講座を開催。
住民の主催でこうしたイベントを開催するということ自体がすばらしい。
住民の皆さんのパワーと情熱を感じます。
おかげさまで、250名程度の応募をいただきましたが、会場の都合で残念ながら人数を50名に絞らせていただきました。

会場はすごい熱気!皆さん真剣な眼差しで、講義に聞き入ってました。

・・・・・

自分はずっと裏方だったので、内容についてはあまりよく聞けなかったが、最後酒匂さんが質問に答えた回答の内容が私にとってはとても印象的だった。

「衣服(線維)も含めて、自給自足をめざしてないのか」という問いに対して。

酒匂さん曰く、
「自分はそこまではめざしていない」
「しかし、地域全体でそうした作物を自給できればいいと思う」

自給自足は、方向性としてはとてもすばらしい理念。

やろうと思えばできるのだ、という考えがある一方で、人間一人の作業量には物理的に限界があるのも事実。
自分の適正作業量以上のことをやろうと思うと、精神的な負担が大きくなり、むしろ継続性を失う。それが人間というものだ。
自分でできない分は、地域で補えればいい。
地域として自立した生活圏が成り立てばよいのだ。
その方向性がむしろ、地域内での生きた交流を産む。
その方が、楽しいではないか。

そう、生活や暮らしを楽しむという考え方が、全ての活動の原点だと思う。

あとで酒匂さんとそんな話をして、意見が一致した。
やはり実践者の言葉は、力強い。