鎧の下
N邸の外壁は、土佐漆喰鎧仕上げ。
3尺3寸ごとに横に水切りが入る、風格のある仕上です。
また水切りがあることによって、壁の耐久性が増します。
雨風の強い土佐ならではの仕上ですね。
この敷地も南側が広い畑で吹きっさらしなので、仕上げとしてはちょうどよいといえます。
さて現在は、下地を作っているところです。
下地は、砂漆喰(土佐漆喰+砂)で作ります。
写真はまだ生乾き状態。
砂漆喰の表情も、好きだなあ。
今日の昼、久しぶりに家族と葉山のピスカリアに行きました。
相変わらず、季節の素材を生かした美味しい食事。
そしてここは本当に居心地がよい。
主のIさんをはじめ、いつも笑顔でもてなしてくれるMNさん、厨房の仕事人Iくん、週末本業の合間に客席に立つMSさん。そこで働く人たちのもてなす心といいますか、
来ていただいたお客さんに美味しい食事を味わってほしい、楽しんでほしい、という気持ちが、料理に、空間に、にじみ出ています。
事実、Iさんは料理を出した後、必ず厨房を出てお客さん一人ひとりに声をかけ、もてなしの意を表します。
また料理人の立つ厨房が、お客さんの通過動線の途にあり、開放的なので、お客さんと料理人の距離が近く感じます。
こじんまりとした広さということもありますが、ここは動線上、また意識の上で、お店に対して親近感のある関係を感じることができます。
そうなんです、ここの気持ちよさのカギの一つは、他の飲食店では殆ど感じることのない、あるいは成すことのできない、お客さんと料理人の「関係性」にあるのではないかと思うのです。
一方、居心地の基礎となる空間については、ここは気候風土に根ざした伝統的な建築構法に基づいて構成されています。
こうした先人の知恵に基づく伝統的な建築構法による空間は、本質的に人間にとって心地よいものであると、私はピスカリアを作って改めて思います。
歩いて1分もするとそこは海。
森戸海岸です。
感性に素直な子どもたちは、夏でも秋でも冬でも春でも、海をよろこびます。
今日も子どもたちは、秋の夕焼空に光る海を楽しみました。
ここ葉山は、海だけではありません。
里山があり、落ち着いた街並みがあり、
そして、人生を楽しもうとする人たちがたくさん住んでいます。
ここの居心地のよさは、建物で完結するのではなく、まちにつながっているのです。
いやこのまちが、ピスカリアの居心地を生んだのかもしれません。
N邸の外壁の足元の水切り。
ガルバニウム鋼板で作っております。
外壁が長いので、どこかで重ねて継ぐ必要があります。
重ねるということは、どちらかが上でどちらかが下になるわけですが、例えば左を上に重ねた場合、左側からみるとその継ぎ手はほとんど気になりません。
一方、同じ部分を右側から見ると、薄い金属の板ではありますがその小口が見えるため、
「あ、継いでいるな」ということが分かります。
そこで板金屋の鈴木さん。
よく見るであろう方向から見たとき継ぎ手が気にならないように重ねる向きを決めていただいています。
鈴木さんから提案があったとき、「なるほどな」と思いました。
こうした職人さんの気遣いと心がけ、とてもうれしいですね。
巾二寸三分の話ではありますが、こうした積み重ねが、よい家へとつながるのです。
現在進行形のN邸の様子。
週に2、3度現場に足を運んでは、打ち合わせと確認の日々。
現場に居ると、時間が経つのが早いです。
今だいたい午前に行くことが多いのですが、あっという間に昼の時間。
現場は、荒壁土が乾き始め、床を貼り始めているところです。
だんだんと空間の骨格が見えてきました。
柿渋を塗った木も、だいぶ色が落ち着いてきています。
先週土曜日の朝、久しぶりにK邸を訪れました。
K邸も、冬を越え、春を越え、夏を越え、今に至っているわけですが、しばらく見ない間に、緑がとても豊かになっていました。
しかも、食べられる緑!
東京のど真ん中でも、決して広い敷地ではなくても、こうして緑を豊かにし、食べ物を育てることができるのだと、改めてKさんに気づかされました。
そしてやはり緑は美しい。
焼杉色ともよく合います。
そういえば昨晩、焼杉板で仕上げるコーポラティブハウスに住まう予定のKSさんが、電話口でしきりに建物を緑で覆いたいと仰っておりました。
ぜひそうしましょう!
今週から左官屋の湯田さんのところの職人が4人入るようになり、竹小舞かきもだいぶ進んできました。
現在建物は、「竹籠」状態です。
夕方、作業用の照明を建物の中で点けていると、建物全体が竹であしらった巨大な照明器具のようです。
視線は遮るが風と光は通す細かい竹の格子、こうしてできるたび、この状態をどこか一部に残しておきたいと思ってしまいます。
建て主のNさんも、壁の一部を指差して冗談交じりにそのようなことを仰っておりました。
そうです、指を差した先は外の壁です。
しかし、古い民家を見てみると、竹小舞を一部残した小窓をたまに見受けます。
昔の人たちも、「やっぱりここは風と光を通すか」とか言って、せっかくだから竹小舞の部分を残したいと思ったのかな。
Nさん、本気でやってみます?