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2006年11月5日

秋の里山を楽しむ

カテゴリー: 今日のできごと


ひょんなことで、家族で鶴川周辺の里山を遊ぶことになりました。
NPO樹木・環境ネットワークが主催する、「子どもワクワクプロジェクト里山編―秋の森芸術展!―」に参加してきたのです。

この時期の里山は気持ちいいだろうな〜、と思っていましたが、本当に気持ちが良い。

実は来る前、子どもたちは別の思惑があったようで乗り気ではなかったのですが、里山に入った途端、朝のできごとは一体なんだったのだろうか、というくらい、楽しんでいるではないですか。

「来てよかっただろ」というと、
何事もなかったように、「うん」という子どもたち。

やはり里山は、子どもにとって楽園のようです。

しかし私が子どもの頃、わざわざ遠くまで出かけなくてもこうした空間が身近にあって、探検したり、基地を作ったり、よく遊んだものでした。
(考えてみれば、あれば多分民地でしたが…)

東京も、探せばまだこのような里山が残っているようです。
保存のための保存ということではなく、楽しくて気持ちがよいのでぜひ残していきたいですね。


里山を散策する子どもたち。
探検気分。


里山の産物で、色彩ビンゴゲーム。
里山には多様な色があることを改めて気づかされます。


我が家の犬も、里山を楽しみました。
焚き火で焼いた焼き芋を楽しんでいます。

2006年11月1日

夢はかなう

カテゴリー: 今日のできごと

10月上旬、我が家に新たな家族が来ました。

ムスメの夢がかなったのです。

ムスメは幼い頃から動物が大好きで、物心ついたときから、
「しょうらい何になりたい?」
と聞くと、
「じゅういさん」
と答えるのでした。

だから当然のことながら、かねてより動物、とくに犬を飼いたがっていて、今年10歳という歳になって、その願いはいっそう強まるばかりでした。

一方で、新たな家族を迎え入れるには、いろいろ課題や心構えが必要であると、話をしてきました。
しかしそれらを克服するにはどうしたらよいか、その解決方法をことあるたびに相談してきました。
そしてここ数ヵ月もの間、執念すら感じるほどその実行に努めてきたのです。

まだまだ全て解決したというわけではないのですが、今回、その成果が結実しました。

実は里親制度によってその新たな家族を迎え入れることになったのですが、迎え入れることを希望している方が複数いらっしゃったようで、我が家に来る確率は数分の一だったのです。
しかしその涙ぐましいムスメの努力が、我が家を選んでくれたのでしょう。

「神様」はいたのです。

夢や希望は、継続して強く持ち続ければきっとかなうのだ、ということを、子どもに教えられました。

さてそのムスメ、その新たな家族との生活の記録としてブログを始めました。
更新はボチボチですが、見てやってください。

http://ameblo.jp/jetan/

2006年10月30日

人を良くするのは

カテゴリー: 今日のできごと


昨日の夜、山梨の帰り道から身体がミソギを欲する予感がしていたのですが、案の定、朝起きることができず。
ということで、今日は身体と相談しつつ、一日家で作業することにしました。

穀物と野菜を中心とした規則正しい三度の食事と十分な睡眠。
元気を取り戻すにはこれが一番ですね。
おかげさまで、今は元気です。

ところで昨日、日々畑で肉体労働をしているM田くんが、面白いことを言っておりました。
「肉好きですけど、肉たくさん食った次の日は力出ないですね。野菜ばっか食ってるときのほうが力出ます」

やはり食生活は、私たちの体調や生き様を左右します。

そういえば最近、食生活がいささか乱れておりました。

※写真は、昨日のみずがきランドの夕暮れ。

2006年10月28日

秋陽の光

カテゴリー: 今日のできごと


我が家の子ども室に、秋の陽の光が柔らかくこぼれて来ます。
私の仕事場を振り向くと、ちょうど目に飛び込んでくる光景。

―伝統的な構法を柔らかく表現―

これが我が家を設計するときに考えていたことの一つ。
とくに子ども部屋の柔らかい雰囲気が気に入っています。

この家も、今月末で住み始めてからおよそ6年が経とうとしてます。
早いような、もうずうっと住んでいる気がするような。

2006年10月24日

対峙

カテゴリー: 今日のできごと

【対峙(たいじ)】

(1)山などが並んでそびえること
(2)二つの勢力が向き合ったまま動かないでいること

出典:大辞林 第二版

2006年10月21日

瓦紀行その弐〜06木の建築塾(第二回)〜

カテゴリー: 今日のできごと

小林保さんの家を後にした木の建築塾の一行は、藤岡にある共和建材の五十嵐さんのところに行きました。
五十嵐さんは、この場でもたびたび紹介させていただいていますが、昔ながらの「達磨窯」で一人燻し瓦を焼いている方です。
世間の大半の瓦が、釉薬を塗られガス窯の中で、同じ商品、どれも均一に生産される中で、この「達磨窯」で瓦を焼いている方は、日本全国見渡しても、ここを含めてもう2ヵ所しかありません。

私はその希少性だけではなく、自然にできる瓦の色むらと風合い、驚くほどの調湿効果とそれがもたらす耐久性、そして五十嵐さんの人柄に惹かれて、この瓦を使い続けさせていただいております。
「木の建築塾」を通じて、またここに来ることができてうれしい!

さて五十嵐さんの案内で、粘土に始まり瓦ができるまでの過程を一通り説明していただきました。


一枚一枚、手でこしらえる瓦の生板。
天日乾燥するときの土の収縮を読んで、瓦の生板を手でたたいて少し反らせます。
瓦をたたく手は、神のみぞ知る世界です。
家一軒で最低でも千枚以上は瓦を使いますが、これを一枚一枚やるのだから、驚きです。


後ろが瓦の生板。
手前が、天日乾燥させた板。
だいぶ収縮しますね。
また、生板の反りが天日乾燥によってほぼ真っ直ぐになっている様子がうかがえます。


これが達磨窯。
正面から見ると、達磨が座禅を組んでいるように見えるから、その名がついています。
これ自体、形の美しい芸術品ですね。
これに天日乾燥させた瓦を約千枚入れ、窯の両脇から薪をくべて、約千度の温度で瓦を焼きます。
1回につき薪を4t車に載る約半分の量使います。
その量を、何日間もかけて朝早くから熱い熱い窯の近くで一人でくべるのだから、本当に頭が下がります。


窯の中の様子。
天日乾燥した瓦を、窯の中に5段重ねて置きます。
その数約千。
窯の中の位置によって、微妙な色むらができるのです。

・・・・・

ここに来るたびに感嘆。
そして本日、五十嵐さんから思いがけない贈り物。

できることならばこの瓦でまちを覆いつくしたいと思うほど、提案し続け、使い続けていきたい瓦です。

望ム!後継者!

瓦紀行その壱〜06木の建築塾(第二回)〜

カテゴリー: 今日のできごと


10/20、21と、今年度の木の建築塾の第二回目。
「現場を見よう」という今回の木の建築塾のお題のもと、瓦を巡って様々なしかけをしている「屋根舞台」の活動を見に行こうということで、今回は群馬県に行ってまいりました。

今回の案内人の一人は、「屋根舞台」世話人の小林保さん。
前回の案内人の一人は私なので、「タモツ」続きですね。
小林さんが「タモっちゃん」と呼ばれていると、私まで振り向いてしまいます。

さて私は遅れて到着したので、その小林保さんの家から合流。
その家は瓦屋である小林さんが設計されたようなのですが、瓦屋の域を超えてますね。
それとも、瓦を巡って家づくりの現場を知り尽くしているからなのでしょうか。
中も外も、木と土と光、そして瓦が見事に表現された。とてもよい感性の家です。


大きなうだつのある家。
これが家の中まで差し込まれ、中の空間を分節しています。
朝日に映える「離れ瓦」が美しい。


敷き瓦を裏向きに一面貼り付けた壁。
光の当たり方で様々な表情を見せます。


雪止瓦の型抜きした形を焼き、庭の舗装材として活用。
平に使ったり、横向けに使ったり、縦向きに使ったり。
普通なら使われない形をうまく使う、瓦屋さんならではの発想です。
これはいい!


剥離窯変した尺角の敷き瓦。
この色むらがよいですね。
唯一無二。
同じものなど二つとないのです。
自然界の本来の姿。
それをどうやってうまく使うか、ですね。

今回つくづく、木の建築塾等を通じて、日々自分の仕事に追われるだけではなく、他の方々のよい仕事に直接触れる機会はよいものだな、と感じました。
この家も雑誌等では拝見していましたが、やはり五感で感じる空間と空気は、伝わってくるものが違います。
また、今まで自分の‘引き出し’にはなかったよい空間に触れることで、改めて自分の創作意欲をかきたてられます。
これからも、時間の許す限り、生の空間を体感しに行こう。

2006年10月18日

価値と金額は比例する

カテゴリー: 今日のできごと


東京へ出る用事があったので、先日の‘木に囲まれた音楽会’で知り合った方の下へ、ピアノを見に行きました。
‘木に囲まれた音楽会’に触発されたこともあり、ここのところ本物のピアノが家にあるといいなあ、と思っているのですが、この方は江戸川橋にあるピアノパッサージュというお店で「本物」のピアノを商っているのです。

いろいろ試し弾きさせていただきましたが、やはり本物のピアノはよい!
やはり電子ピアノとは比べ物になりません。
そして発する音の響きといい、指先の感覚といい、ピアノの上に置いてある値札の金額に比例するような気がします。

よいピアノは適度に古くて空気に馴染んでおり、また使っている素材も、一般的な無垢の木の家具と同様に化学系の塗装が施されてはいますが、ちゃんと広葉樹の無垢板です。
仕上げが木目調なので、家の内装にも合いそうです。

一方で、よく見かける安くて黒いピアノは、随所に合板やプラスティックが使われていることを知りました。
むしろ、音よりも価格を合理化するためにそのような素材を使っているとのことです。
家もそうですが、現代の普及品の宿命なのでしょうか。

それにしても、やはり本物の木の響きは、違います。

極めつけは、これが2〜3台分で家が一軒建ってしまいそうなほどの値段を付けていた、百数十年以上前のスタインウェイのピアノ(写真)。
恐る恐る、指一本で一つの鍵盤を鳴らしてみましたが、
おおっ、何という響き!
魂を揺さぶられるような、幻想的な響きを発します。

ピアノの価値は、音の響き。
その価値が金額として素直に表現されているようですね。

さて、これからどうするかは、これから考えよう。

2006年10月16日

端材屋

カテゴリー: 今日のできごと


木の建物作りの仕事をしていると、半端な材がたくさん出ます。
構造材となる角材や平角材、板材や下地板、造作材、他にはもう使い回せない、いろいろな種類の半端な切れ端がたくさん発生します。

本来、捨てるものなのかもしれませんが、それを捨てるのは忍びないので、いろいろ使ってくれる人たちを探しては配ったり、あるいは自分の家などにためて置いています。

使おうと思ったら工作用に案外使えるし、子どもの遊び道具にもうってつけ。
余ったら、燃して燃料にすればいい。
何に使うか、想像するだけでも楽しいものです。

せっかく伐った木なのだから、とことん使いたいですね。

ということで、最近いろいろなところで端材を見つけては車に積んでいるので、車の中は木だらけ。
すっかり‘端材屋’です。

2006年10月11日

始まりの光

カテゴリー: 今日のできごと


朝早く起き、起きるなり机に向かって事務仕事を行うのが今や日課になっています。
机の東側には摺り硝子入りの木建具があるのですが、硝子から透過して来る朝の光で、季節と、今日一日のお天気の様子を察することができます。

今日は朝から眩しい光が燦燦と差し込んできました。

眩しい光を身体に浴び始めると、寝起きで眠い頭が、何故か晴れ晴れとしてきます。
朝の陽を浴び、一日が始まります。

辺りも静かだし、大好きな時間帯の一つです。