新たな家族
申し遅れましたが、一昨日、我が家に新た‘家族’ができました。
彼はとても元気で、止まることを知りません。
そして人懐こく、というか甘えん坊で、常に誰か人の後をついて回っています。
ただでさえ賑やかな我が家が、いっそう賑やかになりそうです。
昨日は夕方、焼杉作業をしていた厚木の材木屋から飯能の材木屋へ。
目的は、木々に囲まれた空間の中での音楽会。
プロのピアニストが連弾でピアノを弾くというので、その音と空間をぜひ体感したいと思い、行くことにしました。
がしかし、東名が渋滞、また所沢から入間あたりまで渋滞で、ななんと4時間も…。
せめて19時過ぎには、と思っていたのですが、夜20時10分過ぎに到着。
17時に始まった音楽会はもうお開き手前で、パラパラと何人かの人は帰路についていたほどでした。
残念!この木霊を宿すような見事な‘木の建築’の中で、すばらしい演奏を聴きたかった…
まあ、仕事の用事もちょっとだけあったので、よしとするか。
その代わり、感動の余韻の残る会場で、延々23時までピアノを弾き続け(させられ?)ました。
最初はお遊び程度にポロンポロンと弾いていたのですが、この場所の主であり、今回の企画者のKさんに気合を注入され、自分も気合の演奏に。
やはり、演奏も建築も、そして人生も、気合です。
指先、手先だけではない、腹の底から沸き立つ力。
この空間と居る人たちに触発され、興奮冷めやらないボクは、帰りの車を走らせながら、
「気合だ」、とそう叫ぶのでした。
昨日池袋にて、私たちのピスカリアにまつわる話を聞いていただいた一行は、本日葉山まで足を運び、実際にピスカリアを見学しました。
ピスカリアを1時間ほどで見学した後、海まで散歩、そしてピスカリアで食事。
食事の後は、昭和期の大建築家が設計した、小高い山の中腹に立つモダニズムと和を融合した見事な空間を堪能してきました。
枠の納まりといい、建具といい、美を追求するということはこういうことかと、一同感心しきり。
しかし私は、今朝訪れた、誰が設計したというわけでもない、生活の匂いが凝集された古い民家の空間のほうが、好きだなあ。
ということで、見学会というよりは、葉山で皆さんと楽しいひとときを過ごす、交流会といった風情でした。
今日は、06木の建築塾〜伝統構法で‘今’を表現する〜の初日。
豊島区勤労福祉会館にて、杉原建築の杉原さん、ピスカリアの棟梁、同じく杉原建築の後藤さんとともに、約2時間お話しする機会をいただきました。
まずピスカリアが作られてきた過程を私のほうから説明し、その後作っている間の感想などをそれぞれ語りました。
最後は当時の楽しいできごとを、まるで聴衆がいることを忘れているかのように、三人で思い出を語るような感じになりましたが(苦笑)。
伝統構法を手段として、建て主さん、多くの職人さんたちと仕事を楽しんだどころか、こうして大勢の方々の前でお話しする機会をいただきまして、ありがとうございます。
このような機会をいただくことで、伝統構法はかくも楽しく、心地よい空間を仕立てる可能性があるということを、少しでも伝えていければと思います。
今朝、鎌倉の市街地にある金物屋に所用で足を運びました。
その金物屋は、私にとって初めての、しかもメーカーから教えてもらった偶然のお付き合いでした。
用を済ませた後、その金物屋のおかみさんとしばらく話をしました。
ひょんなことで、昔長谷で板金職人だった私のじいさんの話になったのですが、なんとそこのおかみさんは、私のじいさんのことをよく知っているようでした。
「そうかー、あの人は厳しい職人だったのよー」
「ほんとに職人気質の人でね、ああいう人が職人っていうのよー」
「組合のためにも、いろいろやってくれたのよー」
私はじいさんの仕事ぶりを知らず、じいさんをじいさんとしか見たことがなかったので、なんだか不思議な時間旅行に行った気分でした。
そして、
「あの人のお孫さん?顔似てるわー」
机の前に居るより工事現場。
工事現場に行くと感じる、設計者として何も手を出せないもどかしさ。
そうか、私にはやはり職人の血が流れていたようです。
私がこうして職人たちと対話しながら建築作りの仕事をする道を選んだことは、偶然のことではありますが、何か因縁めいたものを感じました。
それにしても、です。
故郷に根を下ろして動いていると、いろいろ面白いことがあるなあ。
ごりごりごりごりごりごりごりごり
ざーーーーーざざっ
こぼ こぼこぼ こぼこぼこぼ
ぽた、ぽたぽた、ぽたぽたぽた
こぼこぼこぼこぼこぼこぼ
ぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽた…
できた。
飲む。
うまい!
豆を挽きはじめると魔性の香りがあたりに立ち込め、美味さの予感に思わず顔がほころぶ。
挽いた豆を三角の紙の中へ。
豆を挽いていた間、沸かしていたお湯を、黒い谷の中に注ぎ込む。
はやる気持ちをおさえ、できるだけゆっくりとお湯を注ぐ。
ゆっくりと、ゆっくりと。
そう言い聞かせながら、やかんを傾ける。
そしてようやく手にした珈琲。
束の間の、ゆりかごの中に居るような時間。
周りの世界が全て豊かに見える―
実は手で珈琲を淹れるのは久しぶりで、最近は手間を惜しんでボトルコーヒーや缶コーヒーに頼る日々でした。
しかし昨日、久しぶりに手で淹れた珈琲を飲んで、何で私はこの玄奥な味とふくよかな時間を放棄していたのかと、深く深く反省した次第です。
去勢されたコーヒーと、こうも味わいが違うとは!
久しぶりだけに、余計にそう感じました。
手間は裏切りません。
改めて珈琲に教えてもらいました。
「仕事」でお客さんと飯能の材木屋に行きました。
この材木屋は、我が家を作るときにたいへんお世話になった材木屋です。
「仕事」で来ました、しかし会話の8割以上は音楽の話。
そのワケは、材木が積まれた大きな小屋の中にある2台のピアノ。
ここの主のKさんが大のクラシック好きで、それが興じてここにピアノを持ち込み、ここで定期的に音楽会を催す予定、とのことです。
弾いてみました。
最近ご無沙汰なので指の‘ロレツ’が回っておりませんでしたが、発する音が実にいい!
自然に囲まれた環境もさることながら、四方に積まれている材木が計算し得ない音響効果を発揮しているのでしょう。
事実、ピアニストもそのように音響効果のすばらしさを仰っていたようです。
そこに積まれ、家となることを待つ材木たちも、多くの人の目に触れ音楽を聴き、きっと悦んでいるんだろうなー。
胎教みたいなもんです。
ますます、ここに来ることが楽しみになりました。
追伸
こうして本物のピアノを弾くと、我が家の電子ピアノじゃ物足りん!
電子ピアノも本物のピアノにタッチを似せていますが、それでも指の感覚が違います。