忘れじの0117
11年前の5時46分。
当時私は京都で学生生活を送っていた。
その頃は卒業設計で大学の研究室に泊り込む日々。
その瞬間、大学の研究室のソファで仮眠をとり始めたところだった。
京都もかなり揺れた。
誰かが下から起こしたのかと思った。
そして時々訪れていたまちは…
たてものやとして、人として、あの日あの瞬間のことを忘れることはないであろう。
屋外と室内の温湿度を観測して、1週間以上が経った。
屋外は0〜5℃程度の寒い日が続いた。
そして湿度は30〜70%を行ったりきたり。
一方で室内は、1階2階とも、この時期の室温は朝起きると11〜12℃、暖房を入れると、17〜19℃の間に落ち着く。
10℃を下回ることはなく、また20℃を超えることもめったにない。
寒くなりすぎることもなければ、暖かくなりすぎることもない。
朝寒い時間に裸足で歩いても、極端に不快な感じはしない。(これは厚い無垢板の効果であろう。)
というわけで、気温の変動が緩やかといえる。
また気温を正確に計測することにより、18〜19℃前後が家の中で仕事や活動をするうえでちょうどよいのではないか、ということが分かってきた。
それでも少し寒いな、と思ったら、自分なりに調節する術も心得てきている。
一番効果があるのは、しばらく手足(どちらかだけでもOK)を40℃前後のお湯につけることかな。
(食器洗いがおススメ)
他の建物の中に行くと暖房で22〜25℃くらいになっていることが多いが、その室温だとかなり暑く感じ、頭がボーっとすらなることもある。
他の人はこれでちょうどよいと言うので、やはり慣れというものもあるのかもしれない。
一方で湿度はだいたい40%でほぼ一定。
50%以上にはめったにならない。
確かに、この家で結露は見たことがない。
これは間違いなく、土壁の調湿機能がいかんなく発揮されているのであろう。
私が属しているNPOにて、「フリーター・団塊フェア」が開催された。
これから大量に定年者を迎える団塊世代、フリーターが400万人以上と言われているが、その主力をなす団塊ジュニア世代。
彼らの仕事の受け皿として、就農林機会を考える、というイベントだった。
壇上に立った人の話を集約すると、「田舎は決して理想郷じゃないけど、だけど実際身体を動かしてやってみようぜ」という内容で、とても共感した。
‘書を捨てよ、町へ出よう’
それが実際に仕事に結びつくかどうかは本人次第だけど、生産の場を身近に感じる機会を作っていくことは、社会的に非常に意義のあることだと思っている。
今回の議論は農林業の話が多かったけれども、建物づくりの職人の話も同様だ。
このままでは、地域に根ざした素晴らしい建築技術が廃れていってしまう現状に対し、今日の話はとても参考になったし、勇気付けられた。
そして個々人にとっての「仕事」の意味と意義を改めて考えさせられた。
今日壇上に上がっている人たち、あるいは紹介された人たちを見ていると、いずれも自分の生き方に強い信念と確信を持ち、迷いのないすがすがしい姿であった。
今の時代、確かに仕事の選択は自由だ。
さらに、社会のしくみが巨大化し、複雑化し、細分化された今、自分の働いた成果、自分に対する評価を感じる機会が少なくなっている。
その分、自分の存在価値をどこに見出したらいいのか、一体自分は何に向いているのか分かりづらくなっているし、「自分探しの旅」に相当労力と費用が費やされている。
そして「自分探しの旅」の猶予期間を少しでも得るために、「フリーター」や「ニート」という現象として顕在化しているのであろう。
そうした状況の中で、生産の現場に出て、自分仕事、作ったものが目の前で評価され、喜ばれる体験をする場や機会を作っていくことは、「自分」を見つけるきっかけとして、大いに期待している。
そんなわけで、「きらくなたてものや」でも、品質や工程に影響のない範囲で、家づくりの現場で職人たちの息づかいを生で感じ、そして自分で手を動かしてみる機会を作っていきたいと思っている。
自分も「自分探しの旅」を迷いながらし続けたクチだ。
その結果、「伝統構法による家づくり」、「コーポラティブ方式」という帰着点を得たのだ。
追伸
昨日廃材で作った道具は、本日のイベントの札掛け用のものでした。
明日の催しに使う小道具を、廃材を利用して作る。
四寸角の柱の切れ端と、だいぶ前に何かの折に使おうと思って手に入れた厚さ八分の床材。
廃材も使いようで、生きたものになる。
木は、削り屑になるまでとことん利用できるのがいい。
そして天寿を全うして燃やせば燃料になる。