ネコの額の菜園にて
我が家のネコの額の庭先で
ジャガイモと赤大豆が、
梅雨の恵みを受け取って
すくすくと育っています。
ネコの額でも、
育ちぶりを観察するのは
十分楽しいですね。
今日は、先日行った、
石窯作りワークショップの続き。
朝、参加者の皆さんに
作業方法を伝授しに行きました。
完成したときのために
主催のKさんが
ピザの生地を
用意してくださっていたのですが、
しかし今日は昨日の雨で
建前の続きを行うことに
なってしまったので、
誠に残念ながら、
1時間ほどで
失礼させていただきました。
ああ、ピザピザ…(笑)
なお、先日同じく同じ場所で
ワークショップで作ったビオトープが
次第に緑豊かになっていました。
メダカもタニシもヤゴも
います!
こうした池は、
目の保養になるだけではなく、
様々な生き物を見つける
楽しさがあります。
数年前、
ある建主さんについて、
生きる力を与えるひと
という記事を書いたのですが、
昨日の夕方数時間、
久しぶりにその方の家を
訪れました。
仕事の話はほんの数分、
いや数十秒(笑)、
友人もいらしていて、
大半は別のお話に
花が咲いたわけですが、
話題の中心は、音楽の話。
その方は、
身体に病を抱え、
しかも一部身体が不自由で、
身を心を軽くするために、
ハープを楽しまれているのです。
色々お話した中で
とくに印象的だったのは、
「制約は最大の自由」という話。
彼女のことが、
こちらの記事で紹介されていて、
その中に出てくる言葉です。
逆説的ですが、
今私の仕事と照らし合わせて、
とてもストンと来る言葉でした。
といいますのも、
彼女の場合と
少し意味合いが違いますけれども、
今私は、
「伝統的な建築技術を手段とする」
ことを理念の一つに掲げ、
いわばそうした制約を自らに
課しているわけですが、
それを制約と感じるというよりは、
その条件があることで
却って背中に
自由に羽ばたく
羽が生えてくるような、
そんな感じがしていたからです。
また、
予算、法律、敷地条件、
そして予算、予算…(苦笑)、
制約があるから
できない、ではなくて、
制約があるからこそ、
生まれ出る発想と工夫。
これがその建物にとって、
大切な宝物になったりもします。
できない、
とあきらめるのではなく、
できるように
やってみることで
自分自身の成長にも、
つながりますからね。
そう考えると、
「自由」って、
本当に深い言葉です。
ここの家を訪れるのは年数度。
いつもどこかしら痛いはずなのに、
彼女の曇りのない笑顔を見るたび、
いつも大事なことに
気付かされます。
職人が作る木の家ネットの
東京近郊メンバー数名で、
東京・森の学校を
視察させていただきました。
近くの森で、
何ができるか。
このメンバーで
そういったことを
話し合っているうち、
もちろん
私たちのような設計者なり大工が
地元の木を使い続けることも大切ですが、
多くの人たちにとって、
木を使う機会は基本的に生涯一度、
だとすると
里山文化が崩壊した今、
まちと山との接点は薄まり、
山が近くにあっても、
縁遠い存在に
ならざるを得ないわけで、
そうではなく、
山にまちの人たちを招き、
山のこと、木のことを
学ぶ機会を通じて、
身近なものとして感じてもらうことが
大切なのではないかという話に至り、
大先輩、長谷川敬さんを中心に、
その実践を始めた
「東京・森の学校」を
見させていただいた次第です。
ということで午前中、
山主さんのご案内のもと、
山の中を散策。
基本的にスギヒノキの山で、
木の勉強になりつつも、
至るところで花が咲き、
山菜、筍、
沢の流れ、美しい景色、
たくさんの楽しみが
ここそこにありました。
また今日は、
あいにくの雨ではありましたが、
雨によってかえって山が
幻想的で清涼に感じました。
筍もいただけたし、
何よりも空気が軽くて
気持ちよかった!