神田で竹小舞かき隊(2回目)

神田え邸にて。
今日は午後から、
神田で第二回目の竹小舞かき隊。
暑くもなく寒くもなく、
手を動かすには
とても気持ちのよい日でした。
日が暮れても建主さんたちと
ずっとやっていたかったのですが、
ぞれぞれ仕事だったり、
打ち合わせだったり、
午後七時で切り上げました。
あと一、二回、
どこかでまたやるようです。
先日、
まちなかで土壁の家をふやす会の
イベントに参加しましたが、
これを見て‘燃えない’土壁が、
神田のまちなかではやるとうれしいです。

神田え邸にて。
今日は午後から、
神田で第二回目の竹小舞かき隊。
暑くもなく寒くもなく、
手を動かすには
とても気持ちのよい日でした。
日が暮れても建主さんたちと
ずっとやっていたかったのですが、
ぞれぞれ仕事だったり、
打ち合わせだったり、
午後七時で切り上げました。
あと一、二回、
どこかでまたやるようです。
先日、
まちなかで土壁の家をふやす会の
イベントに参加しましたが、
これを見て‘燃えない’土壁が、
神田のまちなかではやるとうれしいです。
おじいさんの歳以上のたてものは、
窓に網戸を入れるという発想がなかったようで、
敷居鴨居に網戸用の溝がないことが多いです。
おじいさんが子どもの頃、
昔の日本人は、蚊などの虫が
へっちゃらだったのでしょうか。
いや、大昔から日本人は、
蚊に刺されてかゆくなるのは
やっぱりいやだったようで、
目の粗い繊維を利用して
蚊帳というものを発明し、
対策をとっていました。
一方で網戸が普及したのは、
実に戦後のこと。
高度成長期に
雨ざらしになっても大丈夫な
化学繊維による防虫網が現れ、
さらにアルミサッシの台頭に伴って、
網戸の設置は
ようやく当たり前のこととなりました。
というわけで、
戦前に建てられたたてものは、
その後窓の改修を行ったり、
アルミサッシに交換したりすることがないかぎり、
網戸の取り付く余地はないのです。
とはいえこの時代、
蚊帳で寝ている間だけ
部分的に虫を除けるよりは、
網戸を付けて家全体、虫を除けたい。
しかし、
敷居鴨居の溝を足す仕事は、
とてもおカネがかかるし、
かといって、
アルミサッシにするのもなあ。
そこで古民家に暮らす
建主さんが思いついたのは、
四枚建ての硝子戸の外側の溝に
二枚の網戸を挿入するということ。
これにより、
外側の溝では二枚の硝子戸と二枚の網戸を
動かずことができない状態となりますが、
窓から外に出るという
ことさえあきらめれば、
光と風を入れることに関しては、
何ら困ることはありません。
むしろ、
網戸を格子付きの「きらくな網戸」にすれば、
夜うっかり硝子戸を開けっ放しにして
寝てしまっても、
外からの侵入は困難なので、
常に防犯性は効いていることになります。
こうして今の状態を嘆くのではく、
むしろ逆手にとって
活かそうという考え方は、
古民家に暮らすうえでの
心構えの一つと言えそうです。

鎌倉大町み邸にて。
鎌倉界隈には、
古いものを好む気質があるのか、
いくつか古道具屋さんがあります。
私もそういったものが
大好きな一人でして、
最近はあまり行けてませんが、
たっぷり時間をかけて行きたい
場所の一つです。
古いものは、
そこから醸し出す
落ち着いた雰囲気もさることながら、
職人の技と心意気を感じるものが多く、
見るだけでも
目の肥やしになります。
私がそんなだからか、
これまでご縁のあった建主さんも
そういったものが大好きな方が多く、
とくにここ最近、
「葉山の桜花園で
こんな建具を買ってきたので、
取り付けてください」という要望を
立て続けにいただいております。
皆さん、私の代わりに
夢を叶えてくださって、
ああうれしい(笑)。
ということで今日も、
鎌倉大町み邸で
たくさんの古建具を
立て込みました。
とくに圧巻は、
縦長の変形木瓜窓が
腰に並んだ
四枚建ての夏障子。
夏障子自体、
私はとても好きなのですが、
この建具は、
自分も衝動買いしそうです。