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2006年3月2日

銀座の中心で綿と麻を着ようと(心の中で)叫ぶ

カテゴリー: 今日のできごと

実に久しぶりに、所用で午後に銀座に行った。
やはりきらびやかなまちだ。
建物を見ていてもおもしろい。

そしてその街を歩く人たちは、女性はともかく男性はほぼ全てといっていいほど黒い色したスーツ姿だった。
最近の生活の行動範囲の中ではまず見られない光景だ。

私も3年前までは毎日のようにスーツを着ていた。
今では考えられない。
スーツ生活を辞めて半年後くらいだっただろうか、久しぶりにスーツを着たことがあるのだが、あまりの息苦しさにびっくりしたことがある。
とはいえ、ネクタイを取ったり緩めたりするとだらしなく見えるので、そうもできない。
それとちょっとした肉体労働にも向かない。
身体が汗ばむとなかなか汗が引かないどころか、裏の生地がしばらく肌にペタッとくっつく。
また大きな動きに追随しないので、私は何回か股を大きく割いてしまったことがある。あれは恥ずかしかった。

というわけで、少なくともスーツは私向きではなかった。
だから今の地で今の仕事を選択しているのだろう。

昔同じ生活を経験しているので、こうして毎日スーツを着て満員電車に揺られて仕事されている方々を見ていると、本当に「ごくろうさん」と思う。
一方で、ネクタイがなくても、また綿や麻が生地でも「営業マン!」、あるいはそこまで行かなくても「仕事をしている人」、という感じの服装になりやしないか、と思う。
一応それを目ざして服装を選んでいるつもりではいる。
他人から見てどうかは知らないけど。

2006年3月1日

春の雨に濡れる雑木林も乙

カテゴリー: 今日のできごと


来週末の催し準備のため、神奈川県某所の里山を訪れる。
生憎の雨だったが、逆に雨だとこういうところに来ることがないので、むしろ貴重な機会と思って楽しむ。
相州名物の梅が淡雪のように咲き並び、その向こうには靄が立ち込め、なかなか幻想的な風景だ。

さて、来週の催し用に伐る木を見繕った。
「日高さん、何作ろう?」と聞かれたので、
「三本足の、よくお店の前に飾っている、黒板をかけているような看板作りましょう!」
「ああ、イーゼルね」
…イーゼルというのか。
帰るまでに、「あれ、なんて名前でしたっけ?」なんて何回も聞き直した。
よし、覚えたぞ。

で、それいいですね、ということで、雑木を使って、大小の野趣溢れるイーゼル(よし覚えたぞ)を参加者と作りたいと思います。
ついでに間伐もやっちゃいます。

皆さん、空気も良いところだし、きっと楽しいのでぜひ来てくださいね。
「いこいの村あしがら」という温泉施設もあります。

2006年2月27日

またしばらく愛すべき人とお別れの日々

カテゴリー: 今日のできごと

訳ありまして、またしばらくぼるぼさんとはお別れになる模様です。
(1ヵ月後くらいからですが)

暖かくなることだし、再び自転車生活を満喫したいと思います。
楽しみです。(少しだけカラ元気。)

しかし今朝ラジオでふと耳にした、「今日は動かず、じっとしていたほうがよいでしょう」という占いは見事に当たったようです。

2006年2月26日

声を出すということ

カテゴリー: 今日のできごと


今日はエコヴィレッジ鶴川の第12回総会。
今日はどちらかというとこちらから説明をする機会が多かったので、一日中声を出していた。
内容的に自分だったら眠くなってしまうようなものが多いので、それぞれの脳天に言霊が届くように、できるだけ腹の底から発声する。
それを一日中やっていると、アドレナリンが大量に分泌されるのか、気分が高揚し、頭の中がスッキリした気持ちになる。腹の中がキレイになったようでもある。

一方で一日中家にこもって作業をし、誰とも話すことのない日もよくあるが、そういう時はまるで声の出し方を忘れてしまったかのようになり、声を絞り出すような、頼りない話し方となる。

昔ラグビーなどをやっていた頃、練習を眺めている間「声を出せ」なんて言われて、意味も分からず闇雲に声を出していたが、今となってはその意味が分かるような気がする。

そういえば、まちの中に「声のデカい人」というのがいる。
しかし「声のデカい人」というのは、もともとそういう資質であるのかもしれないが、声を出すことによってより元気になってしまう、という面もあるにちがいない。

…という日だったのだが、心なしか夜になってちょっとノドが痛い。
やりすぎは禁物。というか、季節の変わり目のみそぎかも…。

2006年2月25日

ガラス屋の世界

カテゴリー: ピスカリア


今日は朝から夕方までI邸の現場に居て、細々と作業をした。
今日は大工、アイアン屋、ガラス屋、設備屋が現場に入り、また最後は板金屋とエアコン屋が顔を出して、竣工直前ならではの慌しくも賑やかな雰囲気だった。

ガラス屋の須藤さん。
今日はお互い「待ち」の時間が多かったので、ガラスの切り方、コーキングをうまく打つための道具、ガラスの種類についてなど、仕事の話をいろいろ聞くことができた。
それぞれ「プロ」の世界があるんだなあ、と改めて感心した。

…昼過ぎになり、玄関ドアが取り付けられてガラスを入れ、コーキング作業にとりかかる。
ガラスをはめ込むのは数十分。
しかしコーキング作業に2〜3時間要していた。
その大半は養生作業。
90cm×2mの建具だけど、養生の長さはなんと30m以上にもなる。
しかも養生テープをきれいに貼るのはとても根気のいる作業なのである。
養生テープをようやく貼り終わった後、「腰が…」と言っていたが、納得!の作業である。

ところで須藤さんは、大東文化大学ラグビー部がとても強かった時代のスクラムハーフで、当時高校ラガーマンで大学ラグビーの試合をテレビや生でよく観戦していた私としては雲の上の人のような存在である。
とはいえイカつい印象ではなく、とても柔らかい、物腰の低い方で、まさか「あの須藤さん」とは、話をするまで気がつかなかった。

わかめの思い出

カテゴリー: 今日のできごと


I邸近くの森戸海岸。
今、わかめを干している。
初春の風物詩だ。

自分は鎌倉に縁があったこともあって、子どもの頃よくわかめを食わされたものだ。
当時は味噌汁に必ずといっていいほど入っていたし、酢の物等で食べることもよくあった。
そういえば当時は、酢の物は見るのもいやなくらい苦手だった。

しかし年を重ねると舌が入れ替わるのか、酢の物と聞くとツバキが出てくるくらい好きになったし、わかめをはじめとする海藻類もよく食べるもののの一つとなっている。
あるいは、当時の追憶がそうさせているのだろうか。
もしかしたら、子どもの頃の食の思い出というのは、好きと嫌いとにかかわらず、実は生涯の食生活に大きな影響を与えるのかもしれない。

2006年2月23日

まちが作る家

カテゴリー: ピスカリア


南側にバルコン兼パーゴラを取り付ける工事の様子。

敷地に余裕がないため、隣接するH後さんのお庭を全面的にお借りして作業。
音もバリバリ立てているのに。
いや本当にありがとうございます。

このお庭は、休憩時間にも休憩場所として使わせてもらっています。

お庭だけではありません。
駐車場に、職人たちや私の車も、快く停めさせていただいております。

さらに3軒先のK峰さんのところにも、車を停めさせていただいております。

H後さんやK峰さんに限らず、近所の皆さん、毎日のように現場の様子を気にかけてくださっています。
お友達のように、話しかけてくれます。
「まだやっとんのか〜」という感じでしょうが(笑)。
皆さん、完成したらおいしいごはんを召し上がりに来てください。

家づくりを通じて、こうして建主、職人、設計者、近所の人たちが顔の見える気持ちよい関係作りにつながっていくのは、うれしいですね。

この家は、このまちの皆さんとともにあります。

(…なんだか、市議会議員の街頭演説みたいだな。)

伝統構法なのにイタリアン続編

カテゴリー: ピスカリア


先日塗った土佐漆喰混じりの砂漆喰。
乾いて少し白くなった。

それでもほんのり黄色を帯びていて、真っ白よりも品がある。

昼休み、建具屋の新井さんと話していたのだが、湯田さんが塗ると、粗い感じで塗っても端正に感じる。

葉山なのでまりんらんぷ

カテゴリー: ピスカリア


客席に通じる廊下に、マリンランプが取り付けられる。

今まで、どちらかといえば照明器具はできるだけ存在感がないように設計することが多かったのだけど、この照明器具を見て考えが変わった。
マリンランプ。
「葉山」によく合う。

照明器具が取り付けられるということは、あともう少しで完成!!
待ち遠しいが、さみしいなあ。

2006年2月21日

‘うまい’‘気持ちよい’を時間軸で捉える

カテゴリー: 今日のできごと

今日、出先の現場で実に久しぶりに自分から進んで甘みの入った缶コーヒーを飲んだ。
普段缶コーヒーを飲むとしてもブラックにするのだが、今日はちょっと甘いのがほしいな、と思って「微糖」を買ってみた。

飲んでみると、味はまあこんなものか、という感じ。

しかしその後がよくなかった。
しばらく舌に、ゴロゴロするような妙な変な感じが残っている。
う〜ん。少し気持ち悪くすら感じる。

最近、この後味、さらには食べた後の身体の様子、もっとさらには次の日に出るもの様子をよく感じるようにしている。
食べるものと身体の因果関係。

だから余計に後味の悪さを感じた。

さて、ここ最近食の安全を求める声が強くなってきている。
とてもよいことだと思う。
しかし、本質的にうまい食べ物は、舌だけでなく身体も悦ぶはずで、身体にとって安全であるのは言うまでもない。と考えている。
だから、「安全」を頭ではなく、身体で感じたいと思っている。

「安全」という切り口だけではない。
「○○は何々に効く」とか「何々がたくさん含まれている」とか、うるさいほど最近よく聞く。
まあ、確かにそうなのかもしれない。
しかしそうした情報は「頭」でなく「身体」で感じてみたい。
「身体」がうまい、と思えば、それは身体によいのだ、きっと。

先ほどの缶コーヒーの原材料の欄に目をやる。
添加物がたくさん。ああ、やっぱり。

やはり、‘うまい’‘気持ちよい’を長い時間軸の上で感じることによって、見えてくることがある。

そして、‘うまい’‘気持ちよい’を長い時間軸の上で感じる場とは、生活とは?
その解の中に、私は自分の仕事、家づくり、まちづくりの手法を見出したいと思っている。